陪審員控え室でお昼を食べている。この控え室,広いし窓が大きくてダウンタウンを一望できるし*1,冷蔵庫や電子レンジやコーヒーメーカーが備え付けてあるし,トイレも男女別に完備してある。シャワーさえ増設すればこの部屋だけで暮らせる。
ここで私の目を引いたのは,壁に掛かっている陪審員生活を謳った短い詩。この詩は,「仕事は休まなくてはいけないし,面倒くさいし…」云々と陪審の義務についての不満を延々述べるところから始まり,「でも」と一転,「友達ができる。○○判事の法(アメリカは,判事の下す判決が法律だからこういう言い方をすると思われる。)の勉強ができる。」と長所を述べて締めくくられる。この詩は,市民の義務をしぶしぶ果たそうとしている陪審員に対して「陪審員になったらこんないいこともあるからね。」ということを言わんがためのものだと思うが,それが陪審員友達と法律のお勉強とは,インセンティブが働かないのでは。
ところで,そんなに簡単に陪審員友達ってできるもの?こんなメリット言われるまで思いつきもしなかった。ってなると,アメリカでは,「お2人のなれそめは?」,「実は,一緒に陪審員をしたことがきっかけで…。」なんてことがあり得るということか。そういう人達は周りにはいないが,まあ,この国ならあるのかもしれない。時と場所をわきまえず,しかも初対面同士なのに話がえらく弾む傾向にあるので。
この詩に何となく違和感を感じたのは,日本だったらこういう場合,大してあるはずもない陪審員のメリットについては,「民主主義は陪審員の皆さんの肩にかかっています。」*2とか「裁判を国民の感覚に近づけて裁判がより国民に近いものになります。」*3という風に大上段に振りかぶって抽象的にぼかしたものの言い方をして終わるのではないかなあと思ったから。陪審員に選ばれるメリットが陪審員友達とお勉強とは何とも卑近かつ具体的なものの言い方である。この詩を読んだだけで「やっぱり陪審って大したメリットがないのね。」とさらにやる気をなくさせることにならないかちょっと心配*4。ただ,誤解のないように付け加えると,審理が始まるや,陪審員の皆さん,それはそれは真面目に義務を果たしている。

*1:2,3階建ての建物が多い中10階建て建物の7階。

*2: アメリカの陪審員制度は民主主義の一環。日本の裁判員制度はそこまでは言い切れない。では一体何なんだろう…?

*3:法務省のウェブサイトから。http://www.moj.go.jp/SAIBANIN/

*4:陪審の義務については,皆面倒と言う。司法試験の受験会場で隣の知らない人から「あなたどこから来たの?日本?日本は陪審制度がなくていいねえ。」と話題を振られた位。