朝一で刑事のDetention hearing(拘留審判のようなもの)に立ち会う。ロースクールで刑事関係の授業を全く受けていなかったので,バーの勉強で刑法と刑事訴訟法をかじっておいてよかった*1。空いている陪審員席が私の定位置。拘留されようとする被疑者はまだ若いのに,犯歴欄は華麗。法廷全体に「こいつは全くどうしようもないなあ。」というムードが漂う。今は,一応裁判所の一員だから,そういう雰囲気に身を任せておそろしく客観的に案件を見ることができる。これがひとたび被疑者や被告人が罪を認めている事件の弁護人の立場になれば,私の場合,法廷を支配するムードに逆らう大変な役の割には,役柄を全うするための大した手段が与えられているわけではなく,また罪を認めているので何となくこっちまで「申し訳ありませんでした。」モードになってしまい,なかなか竹を割ったように案件を処理するということができない。今日は,陪審席から「被疑者のセンセも大変だなあ。」と弁護人を見ていたが,私も日本ではそう思われていだのだろう*2。同じ人間でも立場が変わると,意識までがらっと変わってしまうものらしい。弁護人として自分の責任で事件を扱った経験を経て,その後こうしてまた裁判所に来て,より一層刑事事件における弁護人の悲哀みたいなものを感じた。

*1:といっても,刑事手続きは日本のそれと同じ(陪審関係を除く。)。

*2:アメリカでは,Public Defender(公設弁護人)といい,日本でいう刑事国選事件のみを扱う弁護士がいる。今回の弁護人もそうだった。これに対し,日本では,通常,刑事国選事件がある意味ボランティアとして受任されている。