貢献かパフォーマンスか?

私はマルチタスクな人間ではないので、結局論文その他の勉強はひとまずおいてテスト勉強に専念することにした。ただ、前にも言ったように発言によるクラスへの貢献もテストの点に加算されて卒業にひびくので、授業の予習は欠かせないけれども。
この発言というのが曲者で、この40人くらいのクラスで英語の問題を抱えているのは、私を含む東アジア勢*1スーダン人のみ。日本語環境のときのように何も考えずのんべんだらりと授業に参加していたのでは、貢献どころか永久に発言できない。

そこで考えた。自分はヨーロッパ人のように長い発言はできない。ただ、他の人より日本法と実務を知っているし、アメリカ法のこともちょっとは知っている(つもり)。話題によっては皆が発言しないような瞬間が必ず訪れるので、その瞬間を狙って、自分の実務経験に基づいて発言をすることならそれほど難しくはないし、かつinformativeであればクラスに貢献もできる。なお、単なる質問は貢献とはみなされず、「よい質問」のみが貢献とみなされるのでこれも注意が必要。

以上のような作戦をもって毎回クラスでちょこっと発言するように努力しているが、こうなると無心に講義を聴くという態度ではなくなり、どこか落ち着かない。授業に能動的に参加できたという満足感もあるが、発言後は気が抜けてしまいその後ボーっとしてしまうという副作用もある。いずれにせよ、これぞ欧米文化。日本は高等教育機関になればなるほど講義を静かに聴くという態度を皆とりがちだけれど、ここは全くその逆*2

一部の人は他の人から「あれはパフォーマンスだ。」と非難されるほど発言をしているが、これは単に卒業のためではなく、成績優秀者2名は本人の希望により授業期間終了後にWIPO本部での有給インターンの席が用意されているから。他にもマイクロソフトやら、特許オフィスやら、ローファームやらでの有給インターンが用意されている。WIPOの威光はたいしたものというべきか。私も外国ローファームでのインターンを経験したいのでフィレンツェでのローファームのインターンにアプライしたけれど、イタリア語ほぼ話せないし、他の人達も応募しているのでどうなることやら。

*1:日本、北朝鮮カンボジアベトナム。なぜか中国人2人は問題なし。

*2:アメリカのロースクールでも基本的には授業への貢献が評価されるが、私はアメリカ人と混ざって授業を受けていたため、外国人は発言しなくても仕方がないという暗黙のダブルスタンダードが存在していたように思う。